読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

若さは正義

人生の苦しさって子供の時より大人の方が断然しんどい。


毎日毎日人生が楽しくない、苦しいという人はそれなりにいると思う。僕自身もあんまり人生が楽しくだなんて思って生きてこなかった。学校も会社も生まれてから今日までずっと嫌い。


僕は幼稚園の時から学校嫌い。特に小学校。本当に根っから苦手で毎日が最悪な学校生活だった。とにかく休日だけが自分の救いになっていた。友達もいなかった。


そして大人になった今も毎日満たされない日々を送ってる。子供の時と同じように休日だけを考えて生きている。


で、思ったのが子供の時から変わらず同じような満たされない日々を過ごしているにもかかわらず、子供の時より大人の方が精神的ダメージが大きい。


自分や周りの環境に対する不安、焦燥、怒り、不満、などの感じることは子供の時と今とではあんまり変わってないはずなのに。


多分それって、年を取った分だけ可能性が減るからだと思う。子供の時は学校が嫌いでも必ず卒業は来る。最低な生活から抜け出す日が最初から決まっている。


だからとりあえず卒業までの我慢だって自分に言い聞かせて生活できる。


本当に嫌だったら学校を辞めることだって出来るし、他の学校に転校や再入学だって出来る。


学校は必ず数年で終わりが来るし、自分で終わらせることも出来るし、その後の再スタートも選択肢が豊富にある。


つまり若い時っていうのは「人生の逃げ場」が豊富だとも言える。


でも年を取るほど再スタートって難しくなる。

嫌だったから会社辞めました。っていう人を世間はなかなか受け入れない。会社辞める理由なんて大抵が職場の人間・仕事が嫌いで耐えられなくなったからのはず。


大人になって、年を取れば取るほど「人生の逃げ場」がなくなっていく。


高校生の時、通学電車のリーマン達が冴えない、つまらない、辛そうな顔で毎朝同じ車両に乗ってた理由が今わかった。

将来なんてない。あるのは今だけ。

僕は将来のことを全然考えて生きてない。


人生って色んな夢、目標、イベントがあって、みんなそれに向かって生きてる。例えば進学とか就職とか趣味でも何でもそうだと思う。


「将来のイメージ」っていうものががあってそれに向かって努力して日々を生きている。


それ自体はいいことだと思う。


「進学」という目標のために勉強を頑張る。

「就職」という目標のために勉強を頑張る。

「プロになる」ためにスポーツを頑張る。

何が目標かは人それぞれだけど、でもみんなそれに向かって生きてる。


でもさ、それって今を生きてなくない?


将来の夢や目標がなかった時は嬉しいですよね。目標に到達することでなりたかった自分になる。


でも、その途中の時点では楽しくはないよね。苦労して勉強、苦労して就活とか…。


ただ、苦労しても目指してた目標や夢には届かないことだって多い。


だからある意味将来の夢って残酷だよね。見せるだけ夢を見せて裏切ることも多い。もちろん夢向かって行かないとそもそも叶わないけどね。


そして、叶ったあとはまた新しい夢や目標が生まれる。繰り返しってことになる。


そうすると人生でいくつかのイベントをクリアした時だけが幸福で、それに向かっている時間、人生の大部分は楽しくないってことになる気がする。


でも人間っていつ死ぬかわからないよね。


来年はこうなっていたい。

5年後はこうなっていたい。

10年後はこうなっていたい。


自分の未来を想像してもその前に不意に死んでしまうかもしれない。


今日事故にあって、病気で、自殺で、殺人で…色々な理由があると思うけど、死んでしまった人。中には何年か後の自分を夢見てた人もいたはず。


いつ死ぬかわからなくて、未来なんて訪れるかわからない。だから将来の夢を追うのも大事だけど、今を満足できるように生きてないと、死ぬ時後悔する気がする。


僕には将来なんてない。

いつだって今しかない。

僕はそういう人間。

冷静に考えて週休2日っておかしいよね

5日間働いた分の疲れが2日で癒されるわけないよね。当たり前のように言われすぎてるけどよく考えたらさ、いやよく考えなくてもやっぱりおかしい。


5日働いたら5日休まないと疲れが癒えないよ。


個人的な感覚になりますけど、仕事をした日っていうのは貴重な人生の内の1日を捨てたという感覚なんですよね。朝起きて会社行って労働をして帰宅する。家に帰ってからは食事、家事、などをして眠る。

これ結局仕事のためにその日を生きたということじゃないですか。


平均労働日数は120日らしいので、1年のうち245日は労働をしている。これが定年までの40年くらい続くとすると、約27年間を労働のために捨てたということになる…。しかも20代の若い時からですよ…。


確かにその対価として手に入れるものがある。それは承知してます。ちゃんと働けばお金はもちろん信用や生きがいなどを手に入れることができる。まぁ、仕事に生きがいを感じない人もいるし、お金だって見合った金額を貰ってない人もいるけど。


でもさ…でもさぁ…時間や若さって稼げないじゃん。


そして、僕は稼げないものの方が価値があると思うタイプなんです。


贅沢なんて興味ないし、結婚しないし(できない)、子供なんて絶対育てることにならないだろうと思う。


だから労働に時間を取られずに今を楽しむ時間が欲しい。


僕は「時間>金」っていう人間なんです、はい。


こういうこと言ってるとダメ人間みたいに思われるんだろうな。世間のみんなはどう思ってるんだろう?

「労働:休み=5:2」で本当に納得してるのかな?

これに違和感を感じのは僕がおかしいのか。





普通ってフツーに普通じゃないよね

普通に就職して普通に結婚して普通に子供育てるって凄いことだなって最近気づいた。今までの人生が順調とは言えないものだったから、普通の生き方みたいなものを自分が歩むとを想像してなかったから。

とはいえ、もしかしたら自分にもそんな普通の幸せってやつを掴めるんじゃないかと思っていた。だってあんまりにもそれが普通のことだって教わってきたから。


学校で教師が「君たちが将来結婚したら…」とか「子供ができたら…」とか言うからクラスの人気者から冴えないヤツまで、みんながその普通ってやつを手に入れられると思ってた。


でもそうじゃなかった。そういうこと言う大人って、普通を普通と思えるくらいの人間ってことだったんだ。普通さえも難しくて、手が届かない側の自分なんかとは遠い世界の住人だった。


綺麗事ばかり、都合のいいことばかり言う、子供の時の自分が大嫌いだった大人達は、自分が手に入れられないものをいとも普通につかみ取れる人間だったなんて。なんか悔しいな。


そもそも普通ってなんだろう?平均的ってこと?無難とか?


昔から何をやっても上手くいかなくて、みんなより低いところにいたから、普通ってやつにピンとこない。


普通に就職?そんなの無理だよ。全然仕事できない。同世代の誰よりもね。

普通の結婚?そんなの無理だよ。いやいや、誰とも付き合ったことないし。

普通に子育て?そんなの無理だよ。自分なんかが子供育てられるはずがない。自分がまだ子供みたいに未熟だから。


でもそれを普通って言える人たちは普通なんかじゃなくて優秀だからそれらを普通って言えるんだね。


すげーよ、普通の人。

組体操とかマジでいらないよね

組体操が苦手でした。

1番上になるタイプでした。あれって怖いんですよ。土台が人だからなんせ不安定。落ちたら大怪我。毎回怖い思いをしました。


で、やっぱり事故は起こるんですよね。当たり前ですよね。みんなが体力ある訳じゃないですからね。重さやバランスに耐えきれない時がある。そして崩れて、土台の人は下敷きに。上の人は地面に落下。そのあとはどうなるかはお察し。障害が残るような事故になるわけですよ。打撲や骨折はまだマシかも。

結局組体操中の事故が毎年多発。



だから組体操辞めようぜっていう学校も出てきてますもんね。

その一方で辞める必要はないと主張する輩もいます。


そういう人たちの主張はだいたい「組体操から学べるものがある」言うんですよ。協調性どうのこうのってね。


結論からいうと、ねーよそんなもん。

人が人の上に登ってタワー作って何を学ぶっていうんだ。組体操が危ないって事しか学んでないわ。それで打撲・骨折・障害なんてことになったらそれこそ授業料高すぎ。



綾部ってほんと…

凄い人ですよね。

はじめに言っておくと別に綾部ファンっていうわけじゃないです。むしろ好きじゃないです。


最近、と言ってももう去年ですけどニューヨーク行くって発表してましたよね。しかもとりあえずビッグになりたいみたいな子供みたいな理由で。もう一回言いますけど、別に綾部批判じゃないですよ!


むしろニューヨーク行くことに関しては尊敬してます。英語も話せないし、ちゃんとした目標もない。無謀とかバカとか言われてますけど、今ある生活を捨ててそれでも挑戦できるんだから勇敢ですよ。批判なんて誰にも出来るはずないんですよね。綾部さん自身のことなんだから。だからこそ成功してほしいですね。バカにしてた奴らを見返してほしい。


無理だと思うけど。

卒業式

今日は全国の高校で卒業式だったみたいですね。



まぁ、僕は小学校から大学まで全ての卒業式で結構あっさりした感じで、感動的な感じにはならなかったです。ドラマとかだと不良生徒が迷惑をかけた人に対して感謝を述べたり、生徒思いの先生がお涙ちょうだいのメッセージを伝えたりとかね。正直少し憧れてたんですよね、泣ける卒業式に。


まぁ、現実は淡々してるもので、プログラム通りに式は執り行われて卒業証書を貰って解散。リア充はその後も学校に残って写真なんかを撮ったり、「また会おうね」なんて言ってる。もちろん非リアの僕はその側を母と一緒に通り過ぎて駅へと向かう。ほんの少しだけ泣きそうになったことを思い出しました。


非リアだった僕には学生時代に様々な後悔がありますが、今思うともう少し写真を撮っておけばよかったと思います。自分の顔がブスすぎて写真苦手だったからなぁ。

ただ、時が経つほど記憶って曖昧になるので、昔の思い出が事実だったか自信がなくなってくるんです(年寄りかよ)

だから確かなものが欲しくなるんですよね。記憶じゃなくて記録が。だからもしこれを読んでる学生の方ががいたら写真を撮ってみて下さい。校舎でも、同級生でも、制服の似合わない自分でも、なんでもいいですから。


結局何が言いたいかわからなくなってきましたけど、最高な学生生活の人も最悪な学生生活だった人も卒業だけは平等なんだなと。卒業ってある意味全ての学生においての救いなんだなと。


とりあえず、卒業した学生の皆さんおめでとうございます。



あと、完全な余談ですけど、在校生として卒業式に出るのめっちゃダルいですよね。自分が卒業するわけじゃないのにすっごく長い時間寒い体育館に拘束されますからね。学校は時給分のバイト代払うか、期末テストの採点甘くしろ。